「くるり」になりてぇ文学
バンド「くるり」が好きだ。お洒落で脱力感もあって涙腺をくすぐる最高な歌詞。なによりも「生活感」がある音楽なのだ。大学も一緒だし。僕はずっと「くるり」に憧れてる。僕は「くるり」になりたい。
今日も「ワールズエンド・スーパーノヴァ」を聴いて泣いてた。
ラフラフ&ダンスミュージック
僕らいつもべそかいてばかり
朝が来ないまま
でも僕は「くるり」になれない。何故か。
例えば。一人でファミレスで飯食ってる時。
隣の女性3人組がうるさかったりする。その時僕は「うるせえ死ね」と思う。普段僕も集団でいたら似たようなことをしているのだろう。それでも僕は思う。「うるせえ死ね」って。
「くるり」はファミレスの隣席がやかましくても「うるせえ死ね」って思わないだろう。多分「安心な僕らは旅に出ようぜ」って考えてるんだろうな。
それに僕はシコる。性欲は汚い。「くるり」に性欲があるわけがない。僕が好みのAVを探している間「くるり」は「上海蟹食べたいあなたと食べたいよ」って考えてるんだろう。僕はダメだ。上海蟹食べたあとセックスしたら手が磯臭くて嫌だなとか考えてしまう。痒くなりそう。僕は「くるり」にはなれない。
「くるり」の生活感は僕の生活感じゃない。
僕だってジンジャーエールこんな味だっけ?とかBABY I LOVE YOU とか東京の街に出てきましたとかいつからかあなたのこと忘れてしまいそうとか思うことだってある。
それでも僕にとっての圧倒的な生活感は「死ね」とか「シコる」とかだ。
あーあ嫌だなー。「くるり」になりてぇなー。