糞日記

イェイ!人生!

花粉症

次の方どうぞ。今日はどうされました?

 

花粉症が辛くて.....

 

あー。今年の花粉は特にすごいですね。

 

そうなんですよ。鼻水ズルズルだし、くしゃみも止まらないです。今年の花粉は特に目に来ます。痒くて痒くて...。朝窓を開けたら一気に部屋に花粉が入ってきて、涙が止まらなくなるんです。目薬をさしても効果なくて、涙が止まりませんでした。

あと、先日小学校の同級生の結婚式行ってきたんですけど、涙が止まりませんでした。正直、最近全然会ってなかったし、御祝儀代もな〜、なんて思ってたんですけど、そいつの幸せそうな顔見てたら、なんか、いろんな感情が込み上げてきちゃって、涙が止まりませんでした。

あと、最近自分Netflix入ったんですけど、「ショーシャンクの空に」見て、涙が止まりませんでした。なんか、いろんな人に勧められてたし、見よう見ようと思ってたんすけど、なんか見てなかったんです。んで、Netflix入ったし見てもよっかなーなんて軽い気持ちで見たらもう号泣っすわ。なんならあらかじめWikipediaで内容調べちゃってたんで、展開とか分かってたんすけど、それでも泣いちゃいましたね。あれは。強すぎ。先生、なんとかしてください。

 

はい、じゃー飲み薬と「フォレストガンプ」処方しときますねー。

「くるり」になりてぇ文学

バンド「くるり」が好きだ。お洒落で脱力感もあって涙腺をくすぐる最高な歌詞。なによりも「生活感」がある音楽なのだ。大学も一緒だし。僕はずっと「くるり」に憧れてる。僕は「くるり」になりたい。

 

今日も「ワールズエンド・スーパーノヴァ」を聴いて泣いてた。

 

ラフラフ&ダンスミュージック

僕らいつもべそかいてばかり

朝が来ないまま

 

 

でも僕は「くるり」になれない。何故か。

例えば。一人でファミレスで飯食ってる時。

隣の女性3人組がうるさかったりする。その時僕は「うるせえ死ね」と思う。普段僕も集団でいたら似たようなことをしているのだろう。それでも僕は思う。「うるせえ死ね」って。

くるり」はファミレスの隣席がやかましくても「うるせえ死ね」って思わないだろう。多分「安心な僕らは旅に出ようぜ」って考えてるんだろうな。

 

それに僕はシコる。性欲は汚い。「くるり」に性欲があるわけがない。僕が好みのAVを探している間「くるり」は「上海蟹食べたいあなたと食べたいよ」って考えてるんだろう。僕はダメだ。上海蟹食べたあとセックスしたら手が磯臭くて嫌だなとか考えてしまう。痒くなりそう。僕は「くるり」にはなれない。

 

くるり」の生活感は僕の生活感じゃない。

僕だってジンジャーエールこんな味だっけ?とかBABY I LOVE YOU とか東京の街に出てきましたとかいつからかあなたのこと忘れてしまいそうとか思うことだってある。

それでも僕にとっての圧倒的な生活感は「死ね」とか「シコる」とかだ。

あーあ嫌だなー。「くるり」になりてぇなー。

 

 

 

 

 

イヤフォン

Bluetoothのイヤフォンを購入した。理由は明白だ。なんか皆持っているからだ。

 

ある時期を境に、道で大胆にも独り言を声高に発しながら闊歩する世紀末型の女子大生が増えたものだなぁ世も末だなぁと思っていたら超便利イヤフォンが流通していた。あの人もBluetoothこの人もBluetoothあの人も...と思いきや常に何かと闘っている大声おじさんだったり(ズコーーー)(新婚さんいらっしゃい収録中の桂文枝が椅子から転げ落ち、たまたま収録場所が崖だったのでその後彼の姿を見たものはいない)。

 

たまたまイヤフォンがぶっ壊れたのでヨドバシカメラにて購入。かっくいいぜ。さっそくスマホと同期させて、と。

 

「7回目のベルで受話器とった君〜」

 

いや〜、やっぱり宇多田ヒカルは最高だぜ!

 

ガガッ、ガガガガ

 

ん??なんだ?

 

じょぼぼぼぼぼぼ

 

ん??この音は...

 

じょぼぼぼぼぼぼぼぼぼ

 

...おしっこ?放尿の音だ!!だれかが俺のイヤフォンに勝手にペアリングして放尿音を流してやがる!とんだスカトロテロリストだ!!「見る専」「飲む専」は聞いたことあるけど「聞かせ専」ってなんなんだ!何が満たされるんだ!!

 

じょぼぼぼぼぼぼぼぼぼ

 

くそ、やめてくれ!!意外と安眠作用がありそうなのが腹立つ!!このままだと、男女トイレの壁が崩壊しちまうよ!!(この時点で既に気が狂っている)うわぁぁぁぁぁあ(既に気が狂っているので声が大きい)(後で大家さんに怒られる)(菓子折を持って謝りに行く)

 

みたいなイタズラも可能なのかなとか思ったりした。怖いねBluetooth

 

「それじゃあ音が漏れてるのかおしっこが漏れてるのかわかんなくなっちゃうね〜」

と言ってくれる女の子と結婚することにします。

 

一命を取りとめた桂文枝「新婚さんいらっしゃ〜い」

 

 

 

負け文学

僕の学生落語が終わりました。

 

大会では結局1回も勝てませんでした。もともと僕は「面白い人に面白くないって思われたくないな」くらいの気持ちで大会に出てました。3年生のてんしきからあがりてーなーと思ってやってましたが時すでに遅し。

 

落語に向いてない声、顔、華の無さなど色々恵まれてはいませんでしたが、先輩後輩同期友人にだけは恵まれまくってました。高校まではサンドイッチマン東京03しかお笑いを知らなかった僕がここまで深くお笑いにはまれたのは周りの人達のおかげです。「関西でちょっと改作してる奴」というあまりいない枠に入り込めたから比較的多くの方にも認知してもらえました。

 

「落語」はそこまで好きになれなかったけど「学生落語」は本当に楽しかったです。僕はこれから落語をやることは多分ないです。

それでも何らかでお笑いは続けたいなぁ。正直今は自分が面白いのかも分かんなくなっているけど、「ちょっとしたユーモア」くらいしか自分の取り柄が見つからないな。まだやれんのか、お笑い。

 

 

剣、ペン、チンポコ

ペンは剣よりも強し。素敵な格言だ。

 

僕は去年からブログを始めてみた。筆を取ってみた理由は簡単だ。自分の面白を誇示したかったからである。でも今年に入ってやめようと思った。これも理由は簡単だ。恥ずかしいからである。僕は八方美人なので全員から評価されたい。だからあの人にもこの人にもそれからあそこらへんの人達からも褒められたい...となってくるともう何が何だか分からなくなってくる。

その結果出来上がった文章は自分で読んでも面白くもなんともない代物だ。82点くらいだ。(自己評価が激甘なため、昔のJOYSOUNDくらい高得点が出やすい)

 

なので今年からは紙ノートに日記を書いて、自分一人で楽しむものにしようってことにした。帰省した際に、地元の友人から聞いて面白かった話があったからそのことについて書いた。1ページ目の文を抜粋する。

 

1月4日

今年の正月学んだこと

陽性反応がでた妊娠検査薬はメルカリで買える

 

しょっぱなから完全につまずいた。考えうるノートの1ページ目の使い方の中でも最悪に近い書き出しになってしまった。結局この日以来日記を付けていない。そこにはただネットショッピングの絞りカスみたいな情報のみが書かれたノートが転がっているだけである。僕はこれをデスノートと呼んでいる。もちろん嘘である。

 

手書きの日記に関して、書き出しに失敗したのは本当だが、そうでなくても多分続いていなかった気がする。あんまり楽しくなかったのだ。やっぱり人に見られたい。例えそれがオナニーのようなものだとしても。全員に評価されたいと言ったが、そんなに真剣にこんなものを読んでいる人はいない。恥ずかしさの正体は完全に僕の自意識なのは分かってるが、これはもう全ての行為に付きまとってくるものなので仕方が無いものとする。自意識の剣でぶっ刺されて血まみれになりながらオナニーを続ける所存である。「おれオナ禁してるんだ」って言うやつの八割は面白くないし(厚生労働省調べ)。

 

「剣の方がペンより多分強いし、チンポコいじってる奴の方が親近感は湧くよね」

 

皆も考えてみてほしい。向こうの方からペンを握ったやつ、剣を握ったやつ、チンポコを握ったやつがニコニコしながら歩いてきたら誰と仲良くなりたい?僕は誰とも仲良くなりたくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

スーツが似合わないとよく言われる。自分を大人と仮定した場合、これは結構な不都合だ。「スーツを着ているというより、スーツに着られている感じだね」なんて。違うんだ。僕はスーツなんか着ていない。真っ裸の全身にスーツのボディーペインティングを施しているのだ。何故か。ネクタイが結べないからである。あれは難しすぎる。首元に巻く布を上手く結べないだけで社会不適合者のレッテルを貼られるなんてあんまりだ。「結ぶ」ことが出来ない僕には「描く」という道しか残されてなかった。

 

「百歩譲って上半身は良いとして、下半身までボディーペインティングにする意味は??」という声もある。僕はチャックを閉めるのも苦手なのだ。「社会の窓が空いてるわよ」なんて。恥ずかしいこと山の如し。それならいっそ窓をとっぱらおう!という匠の大胆な意見。なんということでしょう。広々とした快適空間が生まれました(劇的ビフォーアフターBGM)。スーツに着られている??僕は人間だぞ。スーツなぞいう無機物に主導権を握られるくらいなら僕は「着ない」という道をとるね!意気揚々と電車に飛び乗り社会へ馴染む僕。

 

 

 

看守さん「もう戻ってくるなよ」
僕「はい。お世話になりました」

 

1年ぶりの娑婆はすっかり冬になっており、体の芯から寒さが込み上げてくる。猥褻物陳列罪でブタ箱にぶち込まれていた僕は、とぼとぼと夜道を歩く。囚人として支給されていた灰色のスウェット上下セット(GU)は僕にとても似合っていたと思う。看守さんは優しい人で僕が社会復帰出来るよう親身になって指導してくれた。ネクタイの結び方も教えてくれたし、釈放の際に「俺はもう着ないやつだ」と言って、スーツを1着くれた。着せてもらったらサイズはピッタリで看守さんは嬉しそうだった。看守さんはその昔、交通事故で息子さんを亡くしたそうだ。「生きてたらお前と同じ歳だったんだ」そう言って看守さんはネクタイを締めてくれた。
夜道を歩いている今の僕は、少しはスーツの似合う人間になれているのだろうか。

 

かじかんだ手をスーツのポケットに突っ込むと、右側のポケットになにやら紙切れの感触。取り出してみると1万円札が。看守さん、あんたどこまで優しいんだ。思わず涙と鼻水が溢れてきた。慌てて僕は鼻水を噛んだ。持ってた1万円札で。鼻水でしっとりした福沢諭吉の顔はどこか官能的であったそうな。鼻水にまみれた1万円札を眺めていたら甘いものが食べたくなってきた。目の前にはセブンイレブン。いい気分だ。

 

刑務所での飯は質素なものばかりだったが、特に甘いものが滅多に食べれないのが僕には苦痛だった。お菓子コーナーが宝の山に見える。僕は大好物の森永ミルクキャラメルを持ってレジに並ぶ。僕の前には恐らく40代のサラリーマンがコーラ味のグミをもったおじさんが並んでいた。僕はなんとなく、この人大丈夫か?なんて思った。鼻水まみれの1万円札を渡すとレジのお姉さんは嫌な顔1つせず、弾けんばかりの笑顔で
「はい!1万円からでよろしかったですか?」
「はい。結婚してください。」

 

電車に乗って家に帰る。快速特急は嫌いだから準急に乗る。速いものが苦手なんだ。エレベーターも嫌い。エスカレーターが好き。
帰宅ラッシュ時なのか、準急なのに混んでいる。僕はレジ袋からキャラメルの黄色い箱を取り出す。銀紙をゆっくり開いてキャラメルを口に放り込む。美味い。甘くて美味い。甘くて美味いがこの違和感はなんだろう。キャラメルは甘くて美味くて僕は幸せなはずなのになんなんだなんなんだ。僕は違和感の正体に気がついた。スーツだ。スーツでキャラメルをすごく幸せそうに食べることに対する違和感だ。大人はキャラメルを幸せそうに食べてはいけないんだ。そうか。だから僕はレジのお姉さんにふられてしまったのか。そうか。僕がコーラ味のグミのおじさんを見た時と同じ目で、みんな僕を見ているのか。僕は逃げ出したくなった。なにから。スーツからである。キャラメルを美味しそうに食べれなくなるなんてまっぴらゴメンだ。まずはネクタイを外して。外れない。どんなに結び目を緩めようとしてもビクともしない。よく見るとこれはネクタイじゃない。首輪だ。鎖に繋がれた首輪だ。
「すまんな。お前はまだ檻の中なんだ。」
その声は、看守さん。そんな、せっかく檻から出たのに。
「社会そのものが鉄格子みたいなもんだ」
そんな、看守さん、そんな、檻の中に檻って、ベン図みたいな、マトリョーシカみたいな、チョコエッグみたいな、そんなのアリかよ。どれも上手く例えれなかったよ。やめときゃ良かったよ。あ、檻の中に、さっきのおじさん。コーラ味のグミをクチャクチャ食べてるおじさん。そんな看守さん、おじさん、看守さん。うわあああ。

 

それでもキャラメルは美味しい。コーラ味のグミも美味しい。

食欲の秋

食欲の秋である。もうほとんど冬かもしれないが、断固食欲の秋である。

 

先日、たまにしか会えない友達に僕が如何にナスが好きかという話を凄い熱量でしていると「たまにしか会えないのに好きな食べ物の話するのやめない??」と言われた。たしかにそうだ。もっともっと話すべきことはあるはずなのだ。大いに反省した。その反省を生かして今日は嫌いな食べ物の話をする。

 

僕は好き嫌いがあまりない人間だ。このことに対して「え、意外だね!」と言ってくる人が稀にいるが、どう見えてるんだろう僕。とにかく基本的になんでも食べるのだが、食感がヘンテコな食べ物だけはどうも好きになれない。牡蠣や数の子とかが苦手なのだ。

 

ただ、最近は牡蠣も数の子も食べれるようになった。大人になったからである。牡蠣は、友達と仙台旅行に行った時に食べた牡蠣が絶品で、そこからどんどん好きになっていった。京都から仙台まではバスで14時間かかった。座りっぱなしの僕のお尻が「もう殺してくれ!」と悲鳴をあげているのを、僕は寝たフリをして聞き流していたものだった。大人になってから味覚が変わってきて、牡蠣が美味しく感じるようになったという人はたくさんいるらしい。

 

それでは数の子も、どこかで絶品な数の子を食べてから...というわけではない。「絶品な数の子」ってよく分からないしイメージが湧かない。それでは味覚が変わってきて美味しく感じるように...というわけでもない。僕は未だに数の子の食感は気持ち悪いし、とても不味いと思っている。でもいちいち残すのも面倒くさいし、おせち料理くらいでしか出てこないから、食べるのである。僕は大人になったのだ。

 

食べ物を残さない人はステキである。忍たま乱太郎の食堂のおばちゃんも言ってたし。でも子供の頃の僕は「数の子は食感がキモくて不味いから食べない!」という自分の哲学を持っていたのだ。これはこれでステキじゃないの、とも思う。今の僕は数の子を残すことに付随してくるやり取り等が面倒くさくて、食べるのである。つまらない大人になったのだ。僕がつまらなくない大人になるためには、絶品の数の子を探し出してむしゃむしゃ食べるしかないのである。