糞日記

イェイ!人生!

5月19日

「普通に生きる」とは大変に難しいことだ。

バイトは長続きしないし人見知りは治らないし教習所で左折で4回落ちるし。みんなが普通にやっている事が出来なくて凹むことが多々ある。

 

以前スーツ用のカッターシャツを買いに行った際に「あなたは低身長かつ撫で肩なので腕がかなり短いです。既製品ではまず無理ですね。」と言われたことがある。笑顔きらめく素晴らしい接客態度からのコンプレックス激抉りというコンボ技を今までに決められたことがなかったため、膝から崩れ落ちそうになる。もう少し穏やかな言い回しを求む。なんだ「無理」って。棘がありすぎるだろ。

 

ある飲み会の席で知り合いから

「おい!男のくせに萌え袖してんじゃねぇよ!胸糞悪い!」といった旨の指摘を受けたことがある。そう言われてもこちとら既製品では「無理」という太鼓判をその道のプロにいただいたのだ。勘弁してやってほしい。しかしこの件に関する問題は、僕が若干狙って萌え袖をしているという点にある。僕は自分が比較的可愛らしいフォルムをしているという自負があるのだ。本当に気持ち悪いと思うが、勘弁してやってほしい。

 

 

このように中身も外見も世間に対応出来ない部分が多いので怒られることも日常茶飯事だ。そんな時に僕は「すみません、末っ子なもので。」という言い訳を使う。僕は末っ子として周りからそれはそれは甘やかされて生きたので、社会的スペックが皆無なのはしょうがない部分がある。また、世間一般に末っ子は、小型犬と同じくらい可愛いとされているので有効な手立てだと思っていたのだ。※(しかしこの発言で許してもらえたことは1度もない。世知辛い世の中だ。)

 

しかし考えてみれば、世界中に末っ子はごまんと存在している。許してもらえないのは当然の話だ。より「レアリティ」を上げる必要性を感じた僕は「すみません、未熟児だったもので」という言い訳にシフトチェンジした。僕は体重1500gという一般的赤子の半分の体重で爆誕した。本当は4月に生まれる予定だったのだが、約2ヶ月も早いバレンタインデーの日に生まれてきたのだ。この大変にお茶目かつせっかちな生誕は、全くモテなかった思春期時代の莫大なコンプレックスになるのは、また別のお話。

 

とにかく、末っ子に比べて希少価値が高く、更には同情の余地すら有する完璧な言い訳だと確信。いざ使用。※(繰り返し)

 

 

 

真面目に生きていこうと思います。

 

5月17日

平日の昼下がり、僕は超絶オシャレ喫茶店ことドトールに入店。チェーン店最高。個人経営のカフェーは健康に良くない。僕はオシャレ空間アレルギーなので、間接照明の置いてあるお店では味覚がほとんど失われてしまうのだ。口惜しい。とりあえず「品の良い泥水」ことコーヒーを注文。大学生になると僕を含めて皆コーヒーやら酒やらを飲み始めるけど、冷静になってほしい。ジュースの方が美味しいから絶対。

 

 

ズルズルと音を立てながらアイスコーヒーを飲む僕。ストローをやたらと噛んでしまう癖を治さなくてはなぁと思いながらストローをめちゃくちゃ噛んでいると、隣の女性客2人組の会話が聞こえてくる。ガッツリ聞き耳を立てていると2人の会話はセックスの話に突入した。

 

「まーくん(多分彼氏)とめっちゃケンカして、仲直りした後のセックスが一番気持ちいいんだよね。なんか、分かり合えてるわーって実感がエグいんよね!」

 

昼間のカフェの並列席でする話ではない。あとしっかりと「セックス」って言うのやめてほしい。「交接」とか「淫行」とか「ファック」って言われたらそれはそれで動揺するけども。

 

 

聞き手の方の女の子が「爆笑!」と言う。

この話で爆笑ならこの子には圧倒的にエンターテインメントが足りていないと思う。心配だ。

 

 

「もうケンカあとのセックス好きすぎて、性欲溜まってきたらわざとまーくんにケンカふっかけるもん私!!」

 

ほとんどテロリストのやり口。女の子の緩くパーマのかかったショートヘアが、チェ・ゲバラを彷彿とさせる。

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聞き手の女の子はまたしても「爆笑!!」

しっかりしろ。

 

 

チェ・ゲバラ女子には「まーくんが可哀想だ。あんまりだよ。」という旨を、聞き手女子には面白い深夜ラジオ等を教えてあげたかったが、それは野暮ってもんである。僕は颯爽と店をあとにした。

 

 

 

「私を殺しに来たのだろう。撃て、臆病者め。お前の目の前にいるのはただの男だ。」

チェ・ゲバラの最後の言葉)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月14日

今年に入って1度もゼミに出ていない。

恐らく、「ヤバい」。

最初の授業に出席しなかったのがまずかった。

そこからズルズルといけなくなってしまい、かれこれもう1ヶ月以上の大サボダージュだ。確実に怒られる。怒られるのは、「こわい」。

 

今日こそは出席しようと心に決める。落ち着くために一旦学校近くのファミリーマートでヤニ摂取。適当な言い訳を考えながら一服していると、心なしか余裕が出てきた。いける。僕は確信していた。

 

 

 

そして気がつくと僕は家にいた。何が起こったか分からず、一瞬視界が歪む。戦慄のようなものが僕の中を駆け巡る。僕は己を過信していたのだ。僕のような極めて怠惰にできている人間が一度学校の外に出てしまったら、二度と戻れるはずが無かったのである。口惜しい。強く噛み締められた僕の下唇には、薄く血が滲んでいた。

 

悔しさのあまり、僕はつけ麺を食べた。理由は至ってシンプル。美味しいからである。今日のこの悔しさを、濃厚魚介のスープとよく絡めた太麺とともに噛み締める。まさに「臥薪嘗胆」といったところか。麺を平らげ、スープ割りを飲む。僕はつけ麺が好きだが、いつもスープ割りを飲み干すことが出来ない。ラーメンの汁を飲み干さない宗旨の家庭で育ってきたからである。つけ麺のスープを残すと、大体のラーメン屋店員はちょっと睨んでくる。僕は俯きながら蚊の鳴くような声で「ご馳走様です。」と言って店を後にする。今日も最高の1日だった。

 

 

 

 

 

 

5月13日

僕は自分の家に鍵をかけない。いつも開けっ放しの状態にしてある。

 

この話をすると、多くの友達は「危機管理能力が足りてない」という旨の心配をしてくるが、僕に言わせれば皆は圧倒的に考えが足りていない。有り体に言ってしまえば「馬鹿」だと思う。

 

僕は出先で物をなくす事が多々ある。それはそれは多々ある。大学に入って財布3回スマホ2回その他諸々夥しいといった具合だ。そんな僕が家の鍵を持って外に出たりした日には家の中に入れなくなることなど容易に想像することが出来る。根が小心者にできている僕は、自分自身の性分を加味し、最大限にリスクヘッジをした結果「鍵をかけない」という結論に至ったのだ。

 

この説明をしても今のところ誰からも「その手があったか!天才!」的な眼差しを向けられた試しがない。皆そろって微苦笑を浮かべるだけである。慊りない。皆もっとロジカルな思考を身につけるべきだ。

 

「泥棒に入られるのでは?」という心配をしてくれる殊勝な友人もいる。しかし僕みたいな3ヶ月以上まともなバイトをした事の無い貧乏大学生の家から取るものなんかなにもないのである。強いていえば、気まぐれで入ったバイトの給料の2万円を取られたことがあるくらいだ。

 

逆に物をいただけたことだってある。うちに帰ると数ヶ月前の週刊少年マガジンや、使い終わった蛍光灯などが無造作に投棄されていたことがある。さながら現代の「ごんぎつね」といったところだろうか。犯人は見つけ次第、火縄銃で撃ち殺すことも辞さない構えだ。

 

昨今はネット社会の弊害か閉鎖的な性格の人間が増えてきているらしい。こんな世の中だからこそ、オープンな人間であるように心がけるべきではないだろうか。

5月10日

先日、「スポッチャ」童貞を捨てた。

大学4回生にして初体験であった。全国平均スポッチャ童貞喪失年齢は定かではないが、明らかに皆に比べて遅れをとっていることは確かである。

 

その日は徹夜で麻雀を打ち、朝飯がてら磯丸水産で海鮮丼とハイボールを胃にぶち込み、なんば周辺をウロウロしているうちに、なんとなくスポッチャに行こうという流れになったのだ。行き先の順番が完全にトチ狂っている。なんとなく桃鉄と同様の苦痛を感じながら、入店。

 

受付をすませて施設に入ると、50種類ほどのアミューズメントが混在していた。僕はスポーツが出来るから「スポッチャ」かと思っていたのだが、普通にゲーセンやらカラオケやらもあった。じゃあ「スポッチャ」ってなんなんだ。語源。

 

とりあえず、初めはバトミントンをした。

3分くらいラリーしてたら気持ち悪くなってきて、トイレでハイボールを吐いた。楽しい。

 

次は、ローラースケートに挑戦だ!!

僕は全く滑れない。

内股にすれば滑れるとのアドバイスを受ける。

これ以上内股にすると、剥離骨折するくらい足を内側に折り込む。滑れない。生まれたてのオネエの鹿みたいになる。そんな生き物はいない。楽しい。

 

次はバッティングセンターだ!!!

僕のスイングは虚しく空を切る。当たらない。

僕は小学生時代を思い出す。6年生の時に野球が流行っていた。チーム分けは各チームのキャプテンが欲しい人員をジャンケンによって取り合うシステムで行われていた。人数が奇数だった場合、最後はジャンケンに勝った側のキャプテンが「いる」か「いらない」かを判断。僕はいつも最後の一人。そしてキャプテンは必ずこう言うんだ。

「いらん!!!」

子供は時として残酷だ。楽しい。

 

久々のスポーツは良いものだ。体を動かすって清々しい。心地の良い汗が全身から湧き出てくる。ついでにゲロも3回ほど吐いた。3時間たっぷり楽しみ店を後にする。電車に乗りこみ、薄れゆく意識の中で、僕は確信にも近い決心を固めた。

「二度と行かねぇ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月4日

友達と2人で散歩してたらお洒落なカフェーがあったので、なんとなく入店。

 

すごく狭くてアンティーク。所謂「隠れ家カフェ」的な佇まい。小洒落た中年の店長がメニューを丁寧に説明してくれる。何言ってるか全く理解出来ずに1番安いのを注文。4種類の豆をブレンドしたこだわり珈琲だそう。苦いのでミルクをドバドバ投入。がぶ飲み。

 

帰り際にトイレに向かう。トイレもやはりアンティーク調で洒落てる。「座って用をたしてください。」という貼り紙。便座に腰をかける僕。排尿。おしっこ。襲ってくる違和感。僕は普段座った状態で排尿しないのだ。便器に腰掛ける、それ即ち排便のルーティンなのだ。排便。うんこ。

 

静かなオシャレカフェのオシャレトイレで排便。僕の中で何かが死ぬ音がした。モダンスタイルで小綺麗に整ったトイレは、「便器」としてではなく「インテリア」として設置されていることは火を見るより明らかだった。そしてどこか懐かしい記憶が脳裏を駆け巡る。それは市民プールでおしっこを漏らした、あの暑い夏の日と同じ感情。

 

 

排便の例えで排尿の話をするような人間は個人経営のカフェに足を踏み入れるべきではなかったのだ。僕は珈琲くらい苦い顔をして帰路についた。