糞日記

イェイ!人生!

バキ夏

このファミレスに滞在してもう5時間になる。

ミートドリアとスープバーのみで闘い続けている僕は、さながら勇敢な戦士といったところか。

かれこれ12杯目になるスープのおかわりに映った戦士の顔は酷く歪んでいた。闘いがひどく長引いているせいであろう。

もう12杯なのか12敗なのか分からなくなっていた。何かに負けている気がする。しかし、何と闘っているのかもよく分かっていない。

見かねた店員が「おさげしてもよろしいですか?」とスープバーのカップを回収しようとしてきた。

僕は毅然とした態度で「あ、えっと、まだ飲みたいです。すみません...」と答える。店員は去っていく。戦いには勝利した。しかし戦士の自尊心は音を立てて崩れていった。戦士は戦死した。...セルフで死体蹴りをしてしまった。

戦士の死に体は昼下がりの喫煙席でサラサラと灰になっていくばかりである。そしてそのままサラサラと風に乗って13杯目のスープのおかわりに向かうのであった。

 

 

 

 

バキ夏

夏。バキ夏。

半袖半ズボンで暮らしている今日この頃。

 

 

煙草を吸いながら歩いてたらパトカーの中から警官に呼び止められて「高校生?」と聞かれた。「僕タイプの高校生は煙草吸わねぇだろ!遊戯王とかしてそうだろ!」とナイスな自虐ツッコミが脳をよぎったけど、そこは国家権力。射殺されちゃうと困るのでにこやかに答えよう。僕は腕につけていたデュエルディスクをそっと外し、笑顔で「成人男性です〜」と応対。真のデュエリストは無闇な戦いを避けるのである。(この時、デッキは光っている)

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低身長童顔なで肩の三重苦でとても小さく見える。半袖半ズボンだともうほとんど中学生だ。切符とか映画とか安く抑えれる。ラッキーラッキー!タッパがある輩と写真を撮ったらトリックアートみたいになる。やりきれない。

 

夏なので文章もジメジメしちゃう。

 

 

最近は何もない。特にお金がない。お腹がすいている。セミってエビみたいな味がするらしい。エビみたいな味がするらしい。

 

 

 

エビみたいな味が、するらしい。

余談だが、エビは美味しい。

 

 

 

 

 

6月16日

 

現在「万引き家族」という映画が大ヒット上映中である。僕はまだ見ていない。樹木希林草間彌生の見分けがイマイチつかないし、リリーフランキー吉田鋼太郎松尾スズキもあんまり見分けがつかない。でもリリーフランキーみたいになりたい。どうやったらなれんのかな、リリーフランキー。とりあえず「おでんくん」を見返すことにする。好きなキャラクターはガングロたまごちゃんである。

 

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特に反抗期などもなくこの年になってしまった僕も、昔一度だけ万引きをしてしまったことがある。近所のカードゲーム屋さんで当時流行っていた「ムシキング」のカードを1枚、ポケットの中に忍ばせてしまったのだ。

しかし、「盗んでやろう」などという邪な気概は一切なかったのである。

 

この万引き案件は小学生低学年の頃の話なのだが、今にもまして、ぼーーっとしていた子供であった。将来の夢は「マッコウクジラの研究をする人」という無邪気で理系研究者肌な幼少期だった。小学校高学年あたりの算数で躓くこと、高校の数学では平均点を取っただけで絶賛されるようになること、今では四則計算すら怪しいほどに脳みそが腐っていることを、彼はまだ知らない。

とにかくぼーーっとした子供だったので、カード屋さんでぼーーっとカードを眺めてぼーーっとして家に帰ったら間違えてポケットに入れてしまっていたのだ。マジで無意識で軽犯罪やらかしてたので、意識的にやるより質は悪い。

 

ポケットに入ってたのはムシキングの「ヒメカブト」のカードであった。小ぶりなカブトムシで、レアリティの低いノーマルカードだった。昆虫が苦手でまったく流行に乗れていなかったので、全然いらねーと思ったが、カードに描かれた小さめのカブトムシを見つめている内に、胸がチクチクと傷んだ。罪悪感に苛まれた。反省の意に駆られた。それと同時に「どうせだったらもっとかっこいいやつの方が良かった」とも思った。

 

「過ちを改めればそれは過ちではないのだ」

これは高杉晋作の格言である。あの時僕は、もし次があるのなら、アトラスオオカブトとかギラファノコギリクワガタをポケットに突っ込もうと考えていた。負けから何かを学ぼうとするこの姿勢、更なる高みを目指す飽くなき向上心は、幼少時代の我ながら天晴と言ったところか。彼こそが真の「ムシキング」だったのかもしれない。

6月7日

今日も今日とて僕はドトールにいる。

隣の席の人間は何故かジャック・スパロウのデッサンを描いている。なにゆえ今ジャック・スパロウを模写しているのかは謎だ。

 

1番安いアイスコーヒーを注文するためにレジに並んでいると、ごく普通、さも当たり前かのようにお婆ちゃんに横入りされた。「日常」に突如現れた「非常識」に僕は一瞬怯む。しかし驚きはしなかった。何故なら、お婆ちゃんにレジを横入りされるのは先月から数えてこれで3回目だったからだ。

 

「レジを横入りするお婆ちゃん」が現代日本に何名ほどいるかの統計は今のところ確認出来ていないが、2ヶ月のうちに3回も遭遇することは珍しいが無い話ではないだろう。そんなことよりも僕が驚いたのは「レジを横入りするお婆ちゃん」は恐ろしく「速い」ということだ。僕は平和の国のニッポン男児なので、レジに並んでいる際に限らず基本的に周囲に気を張り巡らす時間など日常生活には有らない。

やはり「戦争」を経験している、その差は大きいらしい。

 

「レジを横入りするお婆ちゃん」は音もなく背後から近付いてくる。恐らくこの時の「レジを横入りするお婆ちゃん」は何らかの特殊な呼吸法を使っており、我々は気配すら感じることは出来ない。こちらの肉眼が「レジを横入りするお婆ちゃん」を捉えた時にはもう遅い。僕と僕の前に並んでる人間の間にその細い体をねじ込み、次の瞬間には何事も無かったかのように、既に僕の眼前に「存在」しているのだ。

 

あくまでも憶測の域を出ないが、恐らく「レジを横入りするお婆ちゃん」は何らかの特殊な訓練を受けており、今日もどこか山奥の特殊訓練場では「レジを横入りするお婆ちゃん」が次々と育成されているのだろう。同じ訓練場では「電車の中でずっと怒っているヤバいおじさん」の訓練も同時並行で行われているに違いない。

 

目的は分からないが、このプロジェクトには巨大な権力、例えばの話だが、国家、が絡んでいることは間違いないだろう。「レジを横入りするお婆ちゃん」が国中に放たれ、全ての店舗のレジ周りは混乱と恐怖に見舞われ、日本経済は混沌に呑み込まれる。どこか安全な場所を求めようにも我々は逃げ出すことは出来ない。なぜなら既にすべての駅には「電車の中でずっと怒っているヤバいおじさん」が放たれているからだ。逃げ場がないと分かると我々は「闘う」以外の選択肢がないことに気がつき、武器をとる。

 

そして始まるのだ。「戦争」が。

 

 

とか考えることで「レジを横入りするお婆ちゃん」への怒りを静めながら、ズルズルとコーヒーを飲んでいる。季節はもうすぐ夏である。

 

5月28日

いわゆる「二郎系ラーメン」が苦手なのかもしれない。その事に気がついたのは最近であった。そもそも僕は油っこい食べ物を腹に入れると、ほぼ毎回腹がぶち壊れるのだ。二郎系ラーメンとは、そのような脆弱な人間が踏み込んではいけないサンクチュアリなのである。だいたい「油っこい」とは「ちょっとしつこい」くらいのニュアンスなのであって、あのような脂の塊が可視化されている状態をいう日本語は存在しない。ほとんど暴力だ。

 

 

京都一乗寺に「二郎系つけ麺」という地獄のようなカテゴリーを自称するラーメン屋がある。地元の友人がこの店をたいへん気に入っており彼が京都に立ち寄るたびに連行されてしまう。昨日も当然のように連れていかれた。僕は内心「なぜ有料で腹を虐めに行かねばならんのだ」と不服に思っていたが、せっかく京都に立ち寄ってくれたのだ、別に嫌いなわけではないからね、と軽い気持ちで同行する。友人は大変に腹が減っている様子で「今日はマジで、無限に食えちゃうわ!!」と息巻いていた。そこまで楽しみにしているのなら、なんとなく僕としても嬉しい限りだ。行くしかないじゃない。

 

この店は替え玉を無料で何回でもおかわりできるシステム。つけダレもこってりしていてかなりヘビーだが、なかなか美味しい。僕は普通盛り、友人はトッピング全部のせの「バクショウ盛り」を注文。実食。

 

僕は長年連れ添っている自分の腹の具合を熟知している。「替え玉無料」は罠なのだ。ここで調子に乗っておかわりなんぞをすると僕の腹は1発で死ぬ。この手の飯は腹八分目に抑えておくのがベスト。さながら諸葛孔明のような先見を持って、1杯目を食べ終えたところで箸を置く。

 

一方で友人は好物ということもあり、山のように盛られたトッピングをパク付きつつ、替え玉を2杯頼む。素直に感心して見ていると、なんだかペースが落ちてくる。だんだん、だんだん、だんだんと箸を口に運ぶ回数が減ってきたと思うと、彼はこう言った。

「伊藤!限界!バトンタッチだ!!」

 

伊藤は困惑した。彼が30分ほど前に彼が豪語していた言葉が僕の脳裏に蘇る。

 

「今日はマジで、無限に食えちゃうわ!!」

「今日はマジで、無限に食えちゃうわ!!」

「今日はマジで、無限に食えちゃうわ!!」

 

しかし目の前の彼は僕に対して「限界」を申告してきたのだ。つまり彼にとっての「無限」とは「有限」。僕の知り得る概念とは一線を画していたのである。僕は思わず「え、哲学の話ですか??」と問うてしまったものだった。

 

 

つまり彼は「いきがった」のである。彼はおそらく「いっぱいご飯を食べる男子はモテる」と思っていたに違いない。そんなのは小学生までの話だし、僕は異性が好きなので同性の彼はどこまで行っても「友人」としか見れない。しかし僕はそのような個人のジェンダーには寛容な方なので、彼の僕に対する淡い恋心は見て見ぬふりをし、今まで通りの良好な関係を築いてゆく所存だ。

 

しかし、このSOSのせいで僕の完璧なペース配分は瓦解した。結局彼のお残しの大部分を僕が食したため腹八分目計画は何処へやら、普通におなかいっぱいになってしまった。

帰り道10分ほど歩いたところで身に覚えのある腹痛が顔を出す。はい、ひょっこりはん!!家まで我慢していたら間違って汚物が尻からひょっこりはんしそうな気がして、二度と行かねぇ二郎系と心に決めながら、最寄りのコンビニへと歩みを早めた。

 

 

 

5月22日

5月も終盤に差し掛かった。早いものである。

しかし5月とは嫌な季節である。暑いか寒いかよく分からないし、なんとなく気怠い感じがして心がシャキッとしない。まあしかし、5月以外であっても気怠いし、年中心が猫背の僕からしてみればあまり関係の無い話だ。嗚呼、ハイボールが飲みたい。

 

そんな僕も最近は少し凹んでいる。一人の時間がどうしようもなく寂しくて動けなくなることが多くなった。僕の部屋は割と広く鍵をかけていないため、それなりの人数がたむろするには丁度良いのだが、1人で住むには少し広すぎて殺風景なのだ。

 

去年の冬、麻雀を終えて早朝に帰宅したところ

「おや?誰か渡米でもするのかしら?」と言った具合の馬鹿でかいキャリーケースが部屋に突如出現し、元交際相手との同棲がスタートした。今年に入って「あら?いつの間に引越し業のバイトを始めたのかしら?」と言った具合に、疾風怒濤の手捌きで荷物をまとめて出ていった時点で同棲は終了した。しかしその後もなんやかんやで間髪入れずニート(長髪)→学部の友人→地元の友人→ニート(髭)→ニート(長髪)と言った面々がグルグルと僕の家に泊まったり住んだりしていった。ニートの比率が高い点は少々気になるが、常に僕の家には誰か人がいたのである。

 

しかし最近は皆忙しいようで友人の訪問がじわじわと少なくなり、そのせいもあってか社会性が失われてきた気がする。これは良くない傾向であると危機感を持った僕は2つの案を立てた。

 

①民泊を開く

②植物を飼う

 

 

①の案はかなり良いのでは?と思ったが、賃貸マンションの一室で民泊を開くのは最早狂気の沙汰であるし、民泊独特の奇妙な馴れ馴れしさやコミュニケーション能力は持ち合わせていない。ガッツリ人見知りだし、お金が発生するほどのもてなしはきっとできないため、断念。

 

それではなにか愛玩動物を飼えば良いのでは?と思われるかも知れないが、僕は犬畜生等にあまり懐かれない傾向があるのだ。実家のロングコートチワワちゃんはファッキンキュートな女の子なのだが、僕の部屋のベッドの下を「第二のトイレ」と認識し、ウンコの絨毯爆撃を仕掛けてきた事があった。発見された段階でベッドの下は見渡す限り一面のウンコ地雷原と化しており、悲鳴をあげる僕を見て彼女は満足そうに鼻を鳴らしていた。僕の部屋をトイレと認識していたという事は、彼女は僕自身のことをウンコだと思っていたのだろうか。寂寞の念に駆られるばかりだ。

 

とにかく僕は②の植物を飼うことに決め、近くの植物店へ。かなりたくさんの観葉植物があったが、飼いやすいとの売り文句をはっつけられていた「ガジュマル」という植物を購入しようと決める。値段も1000円とかなりお手頃。レジに持っていくと中年女性の店員が「土を新しいものに変えた方が良いですよ。少々お値段かかりますが。」とのアドバイスをくれた。何も分からないので、言われるがままにお願いする。

 

「それではお値段、13000円です」

ん?高いんだが??土を変えるだけで左様に莫大なマージンが発生するのか??コスパ悪くないか??騙されてる?逃げた方が良いのか??脳裏で様々な考えが飛び交い、どうしたら良いのか分からずにアワアワしていると

 

「冗談よ〜。1300円です(笑)」

 

婆!!ふざけんな!!その手の冗談は100万円以上のリアリティ皆無の値段を言って僕が愛想笑いをする事で初めて成立する代物だろうが!!ギリギリ現実味ある値段攻めてきてんじゃねぇよ!!こちとら植物知識ゼロなんだよ!!!おい!!婆!!!!!

僕はこの婆をブン殴りたい衝動に駆られたが、婆の防御力が異様に高そうなふくよかフィジカルと、レジの内側に置かれていた僕の背丈くらいある巨大な刺々しいサボテンを見て、ここでの戦闘は避けるべきだと踏んだ。

こいつ、強い。

「鬼に金棒、婆に多肉植物」と昔の人はよく言ったものである。

 

 

ガジュマルお買い上げ。ガジュマルは沖縄では「キジムナー」と呼ばれており、木の部分がウネウネしていて中々に愛らしいフォルムをしている。早速たっぷりと水をやると心なしが嬉しそうな様子だ。これで僕の寂しさも吹っ飛ぶに違いない。毎朝ガジュマルに水をやりながら膝を抱え、虚空を見つめながら「おはよう...」と喋りかける自分の姿がありありと浮かんでくる。

社会復帰成功!!イェイ!人生!!

 

 

 

 

 

 

5月19日

「普通に生きる」とは大変に難しいことだ。

バイトは長続きしないし人見知りは治らないし教習所で左折で4回落ちるし。みんなが普通にやっている事が出来なくて凹むことが多々ある。

 

以前スーツ用のカッターシャツを買いに行った際に「あなたは低身長かつ撫で肩なので腕がかなり短いです。既製品ではまず無理ですね。」と言われたことがある。笑顔きらめく素晴らしい接客態度からのコンプレックス激抉りというコンボ技を今までに決められたことがなかったため、膝から崩れ落ちそうになる。もう少し穏やかな言い回しを求む。なんだ「無理」って。棘がありすぎるだろ。

 

ある飲み会の席で知り合いから

「おい!男のくせに萌え袖してんじゃねぇよ!胸糞悪い!」といった旨の指摘を受けたことがある。そう言われてもこちとら既製品では「無理」という太鼓判をその道のプロにいただいたのだ。勘弁してやってほしい。しかしこの件に関する問題は、僕が若干狙って萌え袖をしているという点にある。僕は自分が比較的可愛らしいフォルムをしているという自負があるのだ。本当に気持ち悪いと思うが、勘弁してやってほしい。

 

 

このように中身も外見も世間に対応出来ない部分が多いので怒られることも日常茶飯事だ。そんな時に僕は「すみません、末っ子なもので。」という言い訳を使う。僕は末っ子として周りからそれはそれは甘やかされて生きたので、社会的スペックが皆無なのはしょうがない部分がある。また、世間一般に末っ子は、小型犬と同じくらい可愛いとされているので有効な手立てだと思っていたのだ。※(しかしこの発言で許してもらえたことは1度もない。世知辛い世の中だ。)

 

しかし考えてみれば、世界中に末っ子はごまんと存在している。許してもらえないのは当然の話だ。より「レアリティ」を上げる必要性を感じた僕は「すみません、未熟児だったもので」という言い訳にシフトチェンジした。僕は体重1500gという一般的赤子の半分の体重で爆誕した。本当は4月に生まれる予定だったのだが、約2ヶ月も早いバレンタインデーの日に生まれてきたのだ。この大変にお茶目かつせっかちな生誕は、全くモテなかった思春期時代の莫大なコンプレックスになるのは、また別のお話。

 

とにかく、末っ子に比べて希少価値が高く、更には同情の余地すら有する完璧な言い訳だと確信。いざ使用。※(繰り返し)

 

 

 

真面目に生きていこうと思います。