糞日記

イェイ!人生!

剣、ペン、チンポコ

ペンは剣よりも強し。素敵な格言だ。

 

僕は去年からブログを始めてみた。筆を取ってみた理由は簡単だ。自分の面白を誇示したかったからである。でも今年に入ってやめようと思った。これも理由は簡単だ。恥ずかしいからである。僕は八方美人なので全員から評価されたい。だからあの人にもこの人にもそれからあそこらへんの人達からも褒められたい...となってくるともう何が何だか分からなくなってくる。

その結果出来上がった文章は自分で読んでも面白くもなんともない代物だ。82点くらいだ。(自己評価が激甘なため、昔のJOYSOUNDくらい高得点が出やすい)

 

なので今年からは紙ノートに日記を書いて、自分一人で楽しむものにしようってことにした。帰省した際に、地元の友人から聞いて面白かった話があったからそのことについて書いた。1ページ目の文を抜粋する。

 

1月4日

今年の正月学んだこと

陽性反応がでた妊娠検査薬はメルカリで買える

 

しょっぱなから完全につまずいた。考えうるノートの1ページ目の使い方の中でも最悪に近い書き出しになってしまった。結局この日以来日記を付けていない。そこにはただネットショッピングの絞りカスみたいな情報のみが書かれたノートが転がっているだけである。僕はこれをデスノートと呼んでいる。もちろん嘘である。

 

手書きの日記に関して、書き出しに失敗したのは本当だが、そうでなくても多分続いていなかった気がする。あんまり楽しくなかったのだ。やっぱり人に見られたい。例えそれがオナニーのようなものだとしても。全員に評価されたいと言ったが、そんなに真剣にこんなものを読んでいる人はいない。恥ずかしさの正体は完全に僕の自意識なのは分かってるが、これはもう全ての行為に付きまとってくるものなので仕方が無いものとする。自意識の剣でぶっ刺されて血まみれになりながらオナニーを続ける所存である。「おれオナ禁してるんだ」って言うやつの八割は面白くないし(厚生労働省調べ)。

 

「剣の方がペンより多分強いし、チンポコいじってる奴の方が親近感は湧くよね」

 

皆も考えてみてほしい。向こうの方からペンを握ったやつ、剣を握ったやつ、チンポコを握ったやつがニコニコしながら歩いてきたら誰と仲良くなりたい?僕は誰とも仲良くなりたくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

スーツが似合わないとよく言われる。自分を大人と仮定した場合、これは結構な不都合だ。「スーツを着ているというより、スーツに着られている感じだね」なんて。違うんだ。僕はスーツなんか着ていない。真っ裸の全身にスーツのボディーペインティングを施しているのだ。何故か。ネクタイが結べないからである。あれは難しすぎる。首元に巻く布を上手く結べないだけで社会不適合者のレッテルを貼られるなんてあんまりだ。「結ぶ」ことが出来ない僕には「描く」という道しか残されてなかった。

 

「百歩譲って上半身は良いとして、下半身までボディーペインティングにする意味は??」という声もある。僕はチャックを閉めるのも苦手なのだ。「社会の窓が空いてるわよ」なんて。恥ずかしいこと山の如し。それならいっそ窓をとっぱらおう!という匠の大胆な意見。なんということでしょう。広々とした快適空間が生まれました(劇的ビフォーアフターBGM)。スーツに着られている??僕は人間だぞ。スーツなぞいう無機物に主導権を握られるくらいなら僕は「着ない」という道をとるね!意気揚々と電車に飛び乗り社会へ馴染む僕。

 

 

 

看守さん「もう戻ってくるなよ」
僕「はい。お世話になりました」

 

1年ぶりの娑婆はすっかり冬になっており、体の芯から寒さが込み上げてくる。猥褻物陳列罪でブタ箱にぶち込まれていた僕は、とぼとぼと夜道を歩く。囚人として支給されていた灰色のスウェット上下セット(GU)は僕にとても似合っていたと思う。看守さんは優しい人で僕が社会復帰出来るよう親身になって指導してくれた。ネクタイの結び方も教えてくれたし、釈放の際に「俺はもう着ないやつだ」と言って、スーツを1着くれた。着せてもらったらサイズはピッタリで看守さんは嬉しそうだった。看守さんはその昔、交通事故で息子さんを亡くしたそうだ。「生きてたらお前と同じ歳だったんだ」そう言って看守さんはネクタイを締めてくれた。
夜道を歩いている今の僕は、少しはスーツの似合う人間になれているのだろうか。

 

かじかんだ手をスーツのポケットに突っ込むと、右側のポケットになにやら紙切れの感触。取り出してみると1万円札が。看守さん、あんたどこまで優しいんだ。思わず涙と鼻水が溢れてきた。慌てて僕は鼻水を噛んだ。持ってた1万円札で。鼻水でしっとりした福沢諭吉の顔はどこか官能的であったそうな。鼻水にまみれた1万円札を眺めていたら甘いものが食べたくなってきた。目の前にはセブンイレブン。いい気分だ。

 

刑務所での飯は質素なものばかりだったが、特に甘いものが滅多に食べれないのが僕には苦痛だった。お菓子コーナーが宝の山に見える。僕は大好物の森永ミルクキャラメルを持ってレジに並ぶ。僕の前には恐らく40代のサラリーマンがコーラ味のグミをもったおじさんが並んでいた。僕はなんとなく、この人大丈夫か?なんて思った。鼻水まみれの1万円札を渡すとレジのお姉さんは嫌な顔1つせず、弾けんばかりの笑顔で
「はい!1万円からでよろしかったですか?」
「はい。結婚してください。」

 

電車に乗って家に帰る。快速特急は嫌いだから準急に乗る。速いものが苦手なんだ。エレベーターも嫌い。エスカレーターが好き。
帰宅ラッシュ時なのか、準急なのに混んでいる。僕はレジ袋からキャラメルの黄色い箱を取り出す。銀紙をゆっくり開いてキャラメルを口に放り込む。美味い。甘くて美味い。甘くて美味いがこの違和感はなんだろう。キャラメルは甘くて美味くて僕は幸せなはずなのになんなんだなんなんだ。僕は違和感の正体に気がついた。スーツだ。スーツでキャラメルをすごく幸せそうに食べることに対する違和感だ。大人はキャラメルを幸せそうに食べてはいけないんだ。そうか。だから僕はレジのお姉さんにふられてしまったのか。そうか。僕がコーラ味のグミのおじさんを見た時と同じ目で、みんな僕を見ているのか。僕は逃げ出したくなった。なにから。スーツからである。キャラメルを美味しそうに食べれなくなるなんてまっぴらゴメンだ。まずはネクタイを外して。外れない。どんなに結び目を緩めようとしてもビクともしない。よく見るとこれはネクタイじゃない。首輪だ。鎖に繋がれた首輪だ。
「すまんな。お前はまだ檻の中なんだ。」
その声は、看守さん。そんな、せっかく檻から出たのに。
「社会そのものが鉄格子みたいなもんだ」
そんな、看守さん、そんな、檻の中に檻って、ベン図みたいな、マトリョーシカみたいな、チョコエッグみたいな、そんなのアリかよ。どれも上手く例えれなかったよ。やめときゃ良かったよ。あ、檻の中に、さっきのおじさん。コーラ味のグミをクチャクチャ食べてるおじさん。そんな看守さん、おじさん、看守さん。うわあああ。

 

それでもキャラメルは美味しい。コーラ味のグミも美味しい。

食欲の秋

食欲の秋である。もうほとんど冬かもしれないが、断固食欲の秋である。

 

先日、たまにしか会えない友達に僕が如何にナスが好きかという話を凄い熱量でしていると「たまにしか会えないのに好きな食べ物の話するのやめない??」と言われた。たしかにそうだ。もっともっと話すべきことはあるはずなのだ。大いに反省した。その反省を生かして今日は嫌いな食べ物の話をする。

 

僕は好き嫌いがあまりない人間だ。このことに対して「え、意外だね!」と言ってくる人が稀にいるが、どう見えてるんだろう僕。とにかく基本的になんでも食べるのだが、食感がヘンテコな食べ物だけはどうも好きになれない。牡蠣や数の子とかが苦手なのだ。

 

ただ、最近は牡蠣も数の子も食べれるようになった。大人になったからである。牡蠣は、友達と仙台旅行に行った時に食べた牡蠣が絶品で、そこからどんどん好きになっていった。京都から仙台まではバスで14時間かかった。座りっぱなしの僕のお尻が「もう殺してくれ!」と悲鳴をあげているのを、僕は寝たフリをして聞き流していたものだった。大人になってから味覚が変わってきて、牡蠣が美味しく感じるようになったという人はたくさんいるらしい。

 

それでは数の子も、どこかで絶品な数の子を食べてから...というわけではない。「絶品な数の子」ってよく分からないしイメージが湧かない。それでは味覚が変わってきて美味しく感じるように...というわけでもない。僕は未だに数の子の食感は気持ち悪いし、とても不味いと思っている。でもいちいち残すのも面倒くさいし、おせち料理くらいでしか出てこないから、食べるのである。僕は大人になったのだ。

 

食べ物を残さない人はステキである。忍たま乱太郎の食堂のおばちゃんも言ってたし。でも子供の頃の僕は「数の子は食感がキモくて不味いから食べない!」という自分の哲学を持っていたのだ。これはこれでステキじゃないの、とも思う。今の僕は数の子を残すことに付随してくるやり取り等が面倒くさくて、食べるのである。つまらない大人になったのだ。僕がつまらなくない大人になるためには、絶品の数の子を探し出してむしゃむしゃ食べるしかないのである。

 

 

10月30日

人に面と向かって怒れない。感情を表に出すことが不得手だ。

 

友人のS君と話していると流れで性の話に。

「中学の時好きだった女の子と大学に入ってセックスをしたことがあります。」と言い放つS君。僕は思わず「アダルトビデオの話?」と聞き返してしまった。「アダルトビデオの話じゃないです」と返すS君。「アダルトビデオの話じゃないのかぁ」と僕。何故か凹んでいる僕。

 

昔の片想いの女の子との再開、そしてそのまま懇ろに.....とっても素敵な話だ。刹那的でめちゃくちゃエロい。興味津々で詳細を聞くとS君は「いや、そんな大層な話じゃないですよ」と勿体ぶる。僕が驚異的な粘りを見せるとS君は渋々語り出す。

「地元の友達でずっと仲は良かったんです。大学に入って軽い感じで中学の時好きだった旨を伝えたら、後はまぁ、流れで...」さもつまらない話のように語るSくん。僕は少しムッとする。

「ずっと仲良かった友達」...??話が変わってくる。エロさが二割増だ。あまりにも非日常だ。破廉恥だ。どスケベだ。

「そのままその娘の実家に行って。両親が出かけてたんでそのまま...」

まてまてまて。まて。実家??実家はもう犯罪的なエロさだ。僕は思わず「同人誌の話?」と聞いてしまう。「同人誌の話ではないです」と返すS君。「同人誌の話じゃないのかぁ」と僕。

「でも、本当に大したもんじゃないんで、この話はもうやめましょうよ」と申し訳なさそうに話を切り上げようとするS君に、僕は思わず鬼の形相で声を荒らげてしまった。「そんなステキで一生で一番エロい事件になりそうな話はもっと自慢げに話せよ!!!」

どうせだったら僕も全力で羨ましがりたかったのだ。あまりの剣幕に「すみません」と謝るS君。恐らく何に対する「すみません」なのか分かっていない。僕も何に対する「すみません」なのか分かっていないのだから。

 

 

 

 

という、ある官能小説の冒頭部分。

 

 

 

 

 

10月25日

主体性が無い。良くないことだ。自分の真ん中に芯が通っていない。精神的軟体動物だ。精神的タコ、イカ、ナマコの類いだ。人に流されて流されて流されて、だ。流されたあとはいつも悔しくなる。もっと自分の意思を持って行動したい。「悔」という字は「小さな毎日」と書く。なんか良いことを言えそうな気がするが特に思いつかない。悔しい!

 

信号が無い交差点にて。進行方向には僕と知らないお婆ちゃんがいる。車が少し向こうから来ているけど渡れなくもない。どうしようか迷って横を見るとお婆ちゃんは立ち止まる。お婆ちゃんは急がないものだ。それを見て僕も立ち止まろうとする。そこに僕の意思はない。悔しくなって僕は走り出す。お婆ちゃんを振り切るように。車は思ったよりスピードが出ている。少し迷ったことでスタートが遅れた僕は危うく轢かれかける。車の窓越しに見た運転手はすごく怒った顔をしている。お婆ちゃんはうっすら笑っている気がする。僕は泣きそうになる。悔しい!

 

完全に主体性を出す場面を間違えた。お婆ちゃんは基本的に正しい。人生経験が長いからだ。「婆」という字は「波の女」と書く。波の女?海女さん?サーフィン?お婆ちゃんはサーフィンをするのか??ビックウェーブを乗りこなすのか???すごいねお婆ちゃん。その波に僕はまたもや流されるだけなんだ。プカプカ。悔しい!!

 

10月22日

苦手なことが多い。その1つに「優先順位をつける」がある。

 

小学生の頃、「はねるのトびら」が好きで毎週水曜の夜8時が楽しみだった。お母さんが「見たいテレビの前にお風呂入りなさい」と言う。でも僕ははねトび前の「ヘキサゴン」も好きだったし、はねトび後の「ザ・ベストハウス123」も好きだった。

お風呂が憎くて仕方なかった。僕はヘキサゴンのラスト5分でマー君の嫁とかフジモンの嫁とか斉藤和巳の元嫁とかが歌ってる時間を利用してお風呂に入る。髪を洗う時間とか体を洗う時間とかがもったいないから体をシャワーで濡らすだけでお風呂タイムを終わらせる。120秒フラットの好タイム。

あの頃のテレビは毎日面白かった。ストイックな伊藤少年は毎日お風呂タイムの短縮に精を出した。その結果、髪がフケだらけになり体がとても臭くなった。ものすごく怒られた。「優先順位を考えなさい!!」

 

今もあんまり変わってなくて優先順位がつけれない。今僕の家はトイレの電気とお風呂の電気が切れている。ティッシュもゴミ袋もきらしている。それなのにスーパーに行くと甘いパン等を大量に購入して所持金がなくなってしまう。「優先順位を考えなさい!!」

 

確かにお風呂とトイレの電気が切れてるのは不便だ。でも洗面所の明かりがあればどちらもなんとかなる。ティッシュがなくてもトイレットペーパーはあるしゴミ袋は気合いでなんとか。なかったら困るけどなくても死なない。でも甘いパンを我慢したら、なんか死ぬ気がするのはなんでだろう。

 

流石にテレビのためにお風呂を省くことはなくなった。それでもオシッコは我慢する。CM中に行けば良いのだが、なんか面倒で動けないままモジモジしている。

「優先順位を考えなさい!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

10月13日

 カップ焼きそばの湯切り口の穴にひっついたキャベツを、男はひどく冷徹な顔のまま見つめていた。

 男は普段怒りをあらわにすることが大の苦手だ。そのせいか、このような自分の思い通りにならないキャベツなどにはめっぽう厳しい。

 「そもそもカップ麺のキャベツなどキャベツかどうか怪しいもんだ」そう吐き捨てると男は張り付いたキャベツごと蓋をゴミ袋に放り投げた。男はニコリともしない。

 

 本当のことを言うとカップ焼きそばのキャベツ、男はこれが大好物なのだ。それでも彼は自らの意に介さないキャベツを許すことが出来なかったのだ。

 彼は泣いた。己の器の小ささに。泣きながら蓋の上で温めておいたソースとふりかけと青のりをかけた。そして食べた。犯した過ちを振り払うようにすすり食べた。容器の端の方にソースが溜まっていて、そこにヒタヒタになったキャベツはお箸で掴み辛い。男は諦めた。男のお箸の持ち方が、それが原因で女の子にフラれるほどに汚いから。それに男はけっこうお腹いっぱいだったのだ。

 

 それでも男は、カップ焼きそばのしんなりとしたキャベツを愛している。たまごボーロやおさかなソーセージと同じくらい愛している。