糞日記

イェイ!人生!

食欲の秋

食欲の秋である。もうほとんど冬かもしれないが、断固食欲の秋である。

 

先日、たまにしか会えない友達に僕が如何にナスが好きかという話を凄い熱量でしていると「たまにしか会えないのに好きな食べ物の話するのやめない??」と言われた。たしかにそうだ。もっともっと話すべきことはあるはずなのだ。大いに反省した。その反省を生かして今日は嫌いな食べ物の話をする。

 

僕は好き嫌いがあまりない人間だ。このことに対して「え、意外だね!」と言ってくる人が稀にいるが、どう見えてるんだろう僕。とにかく基本的になんでも食べるのだが、食感がヘンテコな食べ物だけはどうも好きになれない。牡蠣や数の子とかが苦手なのだ。

 

ただ、最近は牡蠣も数の子も食べれるようになった。大人になったからである。牡蠣は、友達と仙台旅行に行った時に食べた牡蠣が絶品で、そこからどんどん好きになっていった。京都から仙台まではバスで14時間かかった。座りっぱなしの僕のお尻が「もう殺してくれ!」と悲鳴をあげているのを、僕は寝たフリをして聞き流していたものだった。大人になってから味覚が変わってきて、牡蠣が美味しく感じるようになったという人はたくさんいるらしい。

 

それでは数の子も、どこかで絶品な数の子を食べてから...というわけではない。「絶品な数の子」ってよく分からないしイメージが湧かない。それでは味覚が変わってきて美味しく感じるように...というわけでもない。僕は未だに数の子の食感は気持ち悪いし、とても不味いと思っている。でもいちいち残すのも面倒くさいし、おせち料理くらいでしか出てこないから、食べるのである。僕は大人になったのだ。

 

食べ物を残さない人はステキである。忍たま乱太郎の食堂のおばちゃんも言ってたし。でも子供の頃の僕は「数の子は食感がキモくて不味いから食べない!」という自分の哲学を持っていたのだ。これはこれでステキじゃないの、とも思う。今の僕は数の子を残すことに付随してくるやり取り等が面倒くさくて、食べるのである。つまらない大人になったのだ。僕がつまらなくない大人になるためには、絶品の数の子を探し出してむしゃむしゃ食べるしかないのである。