糞日記

イェイ!人生!

バキ夏

夏。バキ夏。

半袖半ズボンで暮らしている今日この頃。

 

 

煙草を吸いながら歩いてたらパトカーの中から警官に呼び止められて「高校生?」と聞かれた。「僕タイプの高校生は煙草吸わねぇだろ!遊戯王とかしてそうだろ!」とナイスな自虐ツッコミが脳をよぎったけど、そこは国家権力。射殺されちゃうと困るのでにこやかに答えよう。僕は腕につけていたデュエルディスクをそっと外し、笑顔で「成人男性です〜」と応対。真のデュエリストは無闇な戦いを避けるのである。(この時、デッキは光っている)

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低身長童顔なで肩の三重苦でとても小さく見える。半袖半ズボンだともうほとんど中学生だ。切符とか映画とか安く抑えれる。ラッキーラッキー!タッパがある輩と写真を撮ったらトリックアートみたいになる。やりきれない。

 

夏なので文章もジメジメしちゃう。

 

 

最近は何もない。特にお金がない。お腹がすいている。セミってエビみたいな味がするらしい。エビみたいな味がするらしい。

 

 

 

エビみたいな味が、するらしい。

余談だが、エビは美味しい。

 

 

 

 

 

6月7日

今日も今日とて僕はドトールにいる。

隣の席の人間は何故かジャック・スパロウのデッサンを描いている。なにゆえ今ジャック・スパロウを模写しているのかは謎だ。

 

1番安いアイスコーヒーを注文するためにレジに並んでいると、ごく普通、さも当たり前かのようにお婆ちゃんに横入りされた。「日常」に突如現れた「非常識」に僕は一瞬怯む。しかし驚きはしなかった。何故なら、お婆ちゃんにレジを横入りされるのは先月から数えてこれで3回目だったからだ。

 

「レジを横入りするお婆ちゃん」が現代日本に何名ほどいるかの統計は今のところ確認出来ていないが、2ヶ月のうちに3回も遭遇することは珍しいが無い話ではないだろう。そんなことよりも僕が驚いたのは「レジを横入りするお婆ちゃん」は恐ろしく「速い」ということだ。僕は平和の国のニッポン男児なので、レジに並んでいる際に限らず基本的に周囲に気を張り巡らす時間など日常生活には有らない。

やはり「戦争」を経験している、その差は大きいらしい。

 

「レジを横入りするお婆ちゃん」は音もなく背後から近付いてくる。恐らくこの時の「レジを横入りするお婆ちゃん」は何らかの特殊な呼吸法を使っており、我々は気配すら感じることは出来ない。こちらの肉眼が「レジを横入りするお婆ちゃん」を捉えた時にはもう遅い。僕と僕の前に並んでる人間の間にその細い体をねじ込み、次の瞬間には何事も無かったかのように、既に僕の眼前に「存在」しているのだ。

 

あくまでも憶測の域を出ないが、恐らく「レジを横入りするお婆ちゃん」は何らかの特殊な訓練を受けており、今日もどこか山奥の特殊訓練場では「レジを横入りするお婆ちゃん」が次々と育成されているのだろう。同じ訓練場では「電車の中でずっと怒っているヤバいおじさん」の訓練も同時並行で行われているに違いない。

 

目的は分からないが、このプロジェクトには巨大な権力、例えばの話だが、国家、が絡んでいることは間違いないだろう。「レジを横入りするお婆ちゃん」が国中に放たれ、全ての店舗のレジ周りは混乱と恐怖に見舞われ、日本経済は混沌に呑み込まれる。どこか安全な場所を求めようにも我々は逃げ出すことは出来ない。なぜなら既にすべての駅には「電車の中でずっと怒っているヤバいおじさん」が放たれているからだ。逃げ場がないと分かると我々は「闘う」以外の選択肢がないことに気がつき、武器をとる。

 

そして始まるのだ。「戦争」が。

 

 

とか考えることで「レジを横入りするお婆ちゃん」への怒りを静めながら、ズルズルとコーヒーを飲んでいる。季節はもうすぐ夏である。

 

5月22日

5月も終盤に差し掛かった。早いものである。

しかし5月とは嫌な季節である。暑いか寒いかよく分からないし、なんとなく気怠い感じがして心がシャキッとしない。まあしかし、5月以外であっても気怠いし、年中心が猫背の僕からしてみればあまり関係の無い話だ。嗚呼、ハイボールが飲みたい。

 

そんな僕も最近は少し凹んでいる。一人の時間がどうしようもなく寂しくて動けなくなることが多くなった。僕の部屋は割と広く鍵をかけていないため、それなりの人数がたむろするには丁度良いのだが、1人で住むには少し広すぎて殺風景なのだ。

 

去年の冬、麻雀を終えて早朝に帰宅したところ

「おや?誰か渡米でもするのかしら?」と言った具合の馬鹿でかいキャリーケースが部屋に突如出現し、元交際相手との同棲がスタートした。今年に入って「あら?いつの間に引越し業のバイトを始めたのかしら?」と言った具合に、疾風怒濤の手捌きで荷物をまとめて出ていった時点で同棲は終了した。しかしその後もなんやかんやで間髪入れずニート(長髪)→学部の友人→地元の友人→ニート(髭)→ニート(長髪)と言った面々がグルグルと僕の家に泊まったり住んだりしていった。ニートの比率が高い点は少々気になるが、常に僕の家には誰か人がいたのである。

 

しかし最近は皆忙しいようで友人の訪問がじわじわと少なくなり、そのせいもあってか社会性が失われてきた気がする。これは良くない傾向であると危機感を持った僕は2つの案を立てた。

 

①民泊を開く

②植物を飼う

 

 

①の案はかなり良いのでは?と思ったが、賃貸マンションの一室で民泊を開くのは最早狂気の沙汰であるし、民泊独特の奇妙な馴れ馴れしさやコミュニケーション能力は持ち合わせていない。ガッツリ人見知りだし、お金が発生するほどのもてなしはきっとできないため、断念。

 

それではなにか愛玩動物を飼えば良いのでは?と思われるかも知れないが、僕は犬畜生等にあまり懐かれない傾向があるのだ。実家のロングコートチワワちゃんはファッキンキュートな女の子なのだが、僕の部屋のベッドの下を「第二のトイレ」と認識し、ウンコの絨毯爆撃を仕掛けてきた事があった。発見された段階でベッドの下は見渡す限り一面のウンコ地雷原と化しており、悲鳴をあげる僕を見て彼女は満足そうに鼻を鳴らしていた。僕の部屋をトイレと認識していたという事は、彼女は僕自身のことをウンコだと思っていたのだろうか。寂寞の念に駆られるばかりだ。

 

とにかく僕は②の植物を飼うことに決め、近くの植物店へ。かなりたくさんの観葉植物があったが、飼いやすいとの売り文句をはっつけられていた「ガジュマル」という植物を購入しようと決める。値段も1000円とかなりお手頃。レジに持っていくと中年女性の店員が「土を新しいものに変えた方が良いですよ。少々お値段かかりますが。」とのアドバイスをくれた。何も分からないので、言われるがままにお願いする。

 

「それではお値段、13000円です」

ん?高いんだが??土を変えるだけで左様に莫大なマージンが発生するのか??コスパ悪くないか??騙されてる?逃げた方が良いのか??脳裏で様々な考えが飛び交い、どうしたら良いのか分からずにアワアワしていると

 

「冗談よ〜。1300円です(笑)」

 

婆!!ふざけんな!!その手の冗談は100万円以上のリアリティ皆無の値段を言って僕が愛想笑いをする事で初めて成立する代物だろうが!!ギリギリ現実味ある値段攻めてきてんじゃねぇよ!!こちとら植物知識ゼロなんだよ!!!おい!!婆!!!!!

僕はこの婆をブン殴りたい衝動に駆られたが、婆の防御力が異様に高そうなふくよかフィジカルと、レジの内側に置かれていた僕の背丈くらいある巨大な刺々しいサボテンを見て、ここでの戦闘は避けるべきだと踏んだ。

こいつ、強い。

「鬼に金棒、婆に多肉植物」と昔の人はよく言ったものである。

 

 

ガジュマルお買い上げ。ガジュマルは沖縄では「キジムナー」と呼ばれており、木の部分がウネウネしていて中々に愛らしいフォルムをしている。早速たっぷりと水をやると心なしが嬉しそうな様子だ。これで僕の寂しさも吹っ飛ぶに違いない。毎朝ガジュマルに水をやりながら膝を抱え、虚空を見つめながら「おはよう...」と喋りかける自分の姿がありありと浮かんでくる。

社会復帰成功!!イェイ!人生!!

 

 

 

 

 

 

5月19日

「普通に生きる」とは大変に難しいことだ。

バイトは長続きしないし人見知りは治らないし教習所で左折で4回落ちるし。みんなが普通にやっている事が出来なくて凹むことが多々ある。

 

以前スーツ用のカッターシャツを買いに行った際に「あなたは低身長かつ撫で肩なので腕がかなり短いです。既製品ではまず無理ですね。」と言われたことがある。笑顔きらめく素晴らしい接客態度からのコンプレックス激抉りというコンボ技を今までに決められたことがなかったため、膝から崩れ落ちそうになる。もう少し穏やかな言い回しを求む。なんだ「無理」って。棘がありすぎるだろ。

 

ある飲み会の席で知り合いから

「おい!男のくせに萌え袖してんじゃねぇよ!胸糞悪い!」といった旨の指摘を受けたことがある。そう言われてもこちとら既製品では「無理」という太鼓判をその道のプロにいただいたのだ。勘弁してやってほしい。しかしこの件に関する問題は、僕が若干狙って萌え袖をしているという点にある。僕は自分が比較的可愛らしいフォルムをしているという自負があるのだ。本当に気持ち悪いと思うが、勘弁してやってほしい。

 

 

このように中身も外見も世間に対応出来ない部分が多いので怒られることも日常茶飯事だ。そんな時に僕は「すみません、末っ子なもので。」という言い訳を使う。僕は末っ子として周りからそれはそれは甘やかされて生きたので、社会的スペックが皆無なのはしょうがない部分がある。また、世間一般に末っ子は、小型犬と同じくらい可愛いとされているので有効な手立てだと思っていたのだ。※(しかしこの発言で許してもらえたことは1度もない。世知辛い世の中だ。)

 

しかし考えてみれば、世界中に末っ子はごまんと存在している。許してもらえないのは当然の話だ。より「レアリティ」を上げる必要性を感じた僕は「すみません、未熟児だったもので」という言い訳にシフトチェンジした。僕は体重1500gという一般的赤子の半分の体重で爆誕した。本当は4月に生まれる予定だったのだが、約2ヶ月も早いバレンタインデーの日に生まれてきたのだ。この大変にお茶目かつせっかちな生誕は、全くモテなかった思春期時代の莫大なコンプレックスになるのは、また別のお話。

 

とにかく、末っ子に比べて希少価値が高く、更には同情の余地すら有する完璧な言い訳だと確信。いざ使用。※(繰り返し)

 

 

 

真面目に生きていこうと思います。

 

5月17日

平日の昼下がり、僕は超絶オシャレ喫茶店ことドトールに入店。チェーン店最高。個人経営のカフェーは健康に良くない。僕はオシャレ空間アレルギーなので、間接照明の置いてあるお店では味覚がほとんど失われてしまうのだ。口惜しい。とりあえず「品の良い泥水」ことコーヒーを注文。大学生になると僕を含めて皆コーヒーやら酒やらを飲み始めるけど、冷静になってほしい。ジュースの方が美味しいから絶対。

 

 

ズルズルと音を立てながらアイスコーヒーを飲む僕。ストローをやたらと噛んでしまう癖を治さなくてはなぁと思いながらストローをめちゃくちゃ噛んでいると、隣の女性客2人組の会話が聞こえてくる。ガッツリ聞き耳を立てていると2人の会話はセックスの話に突入した。

 

「まーくん(多分彼氏)とめっちゃケンカして、仲直りした後のセックスが一番気持ちいいんだよね。なんか、分かり合えてるわーって実感がエグいんよね!」

 

昼間のカフェの並列席でする話ではない。あとしっかりと「セックス」って言うのやめてほしい。「交接」とか「淫行」とか「ファック」って言われたらそれはそれで動揺するけども。

 

 

聞き手の方の女の子が「爆笑!」と言う。

この話で爆笑ならこの子には圧倒的にエンターテインメントが足りていないと思う。心配だ。

 

 

「もうケンカあとのセックス好きすぎて、性欲溜まってきたらわざとまーくんにケンカふっかけるもん私!!」

 

ほとんどテロリストのやり口。女の子の緩くパーマのかかったショートヘアが、チェ・ゲバラを彷彿とさせる。

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聞き手の女の子はまたしても「爆笑!!」

しっかりしろ。

 

 

チェ・ゲバラ女子には「まーくんが可哀想だ。あんまりだよ。」という旨を、聞き手女子には面白い深夜ラジオ等を教えてあげたかったが、それは野暮ってもんである。僕は颯爽と店をあとにした。

 

 

 

「私を殺しに来たのだろう。撃て、臆病者め。お前の目の前にいるのはただの男だ。」

チェ・ゲバラの最後の言葉)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月14日

今年に入って1度もゼミに出ていない。

恐らく、「ヤバい」。

最初の授業に出席しなかったのがまずかった。

そこからズルズルといけなくなってしまい、かれこれもう1ヶ月以上の大サボダージュだ。確実に怒られる。怒られるのは、「こわい」。

 

今日こそは出席しようと心に決める。落ち着くために一旦学校近くのファミリーマートでヤニ摂取。適当な言い訳を考えながら一服していると、心なしか余裕が出てきた。いける。僕は確信していた。

 

 

 

そして気がつくと僕は家にいた。何が起こったか分からず、一瞬視界が歪む。戦慄のようなものが僕の中を駆け巡る。僕は己を過信していたのだ。僕のような極めて怠惰にできている人間が一度学校の外に出てしまったら、二度と戻れるはずが無かったのである。口惜しい。強く噛み締められた僕の下唇には、薄く血が滲んでいた。

 

悔しさのあまり、僕はつけ麺を食べた。理由は至ってシンプル。美味しいからである。今日のこの悔しさを、濃厚魚介のスープとよく絡めた太麺とともに噛み締める。まさに「臥薪嘗胆」といったところか。麺を平らげ、スープ割りを飲む。僕はつけ麺が好きだが、いつもスープ割りを飲み干すことが出来ない。ラーメンの汁を飲み干さない宗旨の家庭で育ってきたからである。つけ麺のスープを残すと、大体のラーメン屋店員はちょっと睨んでくる。僕は俯きながら蚊の鳴くような声で「ご馳走様です。」と言って店を後にする。今日も最高の1日だった。

 

 

 

 

 

 

5月13日

僕は自分の家に鍵をかけない。いつも開けっ放しの状態にしてある。

 

この話をすると、多くの友達は「危機管理能力が足りてない」という旨の心配をしてくるが、僕に言わせれば皆は圧倒的に考えが足りていない。有り体に言ってしまえば「馬鹿」だと思う。

 

僕は出先で物をなくす事が多々ある。それはそれは多々ある。大学に入って財布3回スマホ2回その他諸々夥しいといった具合だ。そんな僕が家の鍵を持って外に出たりした日には家の中に入れなくなることなど容易に想像することが出来る。根が小心者にできている僕は、自分自身の性分を加味し、最大限にリスクヘッジをした結果「鍵をかけない」という結論に至ったのだ。

 

この説明をしても今のところ誰からも「その手があったか!天才!」的な眼差しを向けられた試しがない。皆そろって微苦笑を浮かべるだけである。慊りない。皆もっとロジカルな思考を身につけるべきだ。

 

「泥棒に入られるのでは?」という心配をしてくれる殊勝な友人もいる。しかし僕みたいな3ヶ月以上まともなバイトをした事の無い貧乏大学生の家から取るものなんかなにもないのである。強いていえば、気まぐれで入ったバイトの給料の2万円を取られたことがあるくらいだ。

 

逆に物をいただけたことだってある。うちに帰ると数ヶ月前の週刊少年マガジンや、使い終わった蛍光灯などが無造作に投棄されていたことがある。さながら現代の「ごんぎつね」といったところだろうか。犯人は見つけ次第、火縄銃で撃ち殺すことも辞さない構えだ。

 

昨今はネット社会の弊害か閉鎖的な性格の人間が増えてきているらしい。こんな世の中だからこそ、オープンな人間であるように心がけるべきではないだろうか。